★重要なお知らせ 2024年4月1日より、「レイバーネットシネクラブ」の情報提供は「レイバーネットサブチャンネル」に移行しました。今後はそちらを参照してください。なお、このサイトは以前のアーカイブとして残しておきます。移行サイトは https://www.labornetjp2.org/specialized/cine-club/ です。
2024年の最初の定例会は、『日本人 オザワ』(2023年/100分/韓国KBS)をとりあげることにしました。
【作品解説】 海を越えた日韓労働者の連帯のたたかいの歴史を描いたドキュメンタリーが2023年12月に完成する。本社からのFAX1枚で、工場閉鎖・全員解雇を通告された韓国スミダの労働者。1989年11月、韓国スミダ労組の4人が来日し、翌年6月まで遠征闘争を行った。「鬼が住む」と聞いていた日本で、言葉もわからず、解雇撤回を求め、団体交渉の要
求をつきつけた。その後も韓国山本、韓国シチズン、韓国サンケン、韓国ワイパーなどの労組が、遠征闘争で来日した。韓国スミダ闘争から33年。韓国の労組・労働者に寄り添い
、案内・支援を中心で担ってきたのが「日本人 オザワ」(尾澤孝司・尾澤邦子)だった。撮影・編集は、KBSのイ・ホギョンプロデューサー。韓国のKBSTVが12月に、2週連続で放映するのに先駆けて、レイバーフェスタで上映したが大評判だった。
●日時:2024年2月4日(日)14時~
●会場:郵政共同センター(千代田区外神田6-15-14外神田ストークビル 『すき家』の五階
●参加費無料 懇親会あり(実費)
たくさんの仲間たちが登場し、希望をもらえる作品です。主人公の尾澤邦子さんも参加して下さいます。ぜひふるってご参加ください。
日韓労働者連帯の歴史に触れる〜『日本人 オザワ』シネクラブ報告
堀切@シネクラブです。
2月4日、『日本人 オザワ』の上映会を、2月4日に開催しました。参加者は14名。レイバーフェスタで見逃したと言って、初めて参加して下さった方も多かったです。
韓国KBSが制作した『日本に飛べ 連帯の道を ~サンケン闘争』(2022年レイバー映画祭で上映)の続編といえる本作は、1989年の韓国スミダに遡り、韓国シチズン、韓国山本、韓国ワイパーなどの韓国労働者の闘いと、それを一貫して支えてきた尾澤さん夫妻を軸に描いています。FAX一枚で全員解雇。明日からどうやって生きていいのか泣き崩れたという若き労働者たち。不安だらけの日本での遠征闘争も、いつしか「尾澤さんがいるから大丈夫」という確信をもって闘いとられるようになりました。レイバーネットを通じて、あるいは学生時代から尾澤さんは身近な存在だったという参加者は多かったですが、こんなに長い間韓国の人達を支えていたとは。「まさに『日本人 オザワ』のタイトルがぴったりの映画。自分はいろいろなことに関心を持ってきたけれど、何をしてきただろうかと考えさせられた」という女性参加者もいました。
討論11名で、大いに盛り上がりました。サンケン闘争から一緒に闘い、この映像にも登場する後呂良子さんが「安い労働力を求めて使い捨てにしていく。スミダの頃からなんにも変わっていない。でも諦めず声をあげる。勝ち負けではなく行動を起こすことで、会社や社会を動かすことができるんだと思った」と開口一番。
「韓国の製造現場も労働運動も、女性が支えていることがわかった」また「文化や歌を共有した運動が、韓国労働者の信頼を深めたのだ」という感想もありました。群馬の森の慰霊碑撤去に抗議する場面や、尾澤孝志さんの逮捕・有罪の場面をみながら、この数十年で日本社会はものすごい勢いで右傾化していることを、自分の体験を交えて語る人もいました。
韓国のテレビ放送向けに作られているため、場所や時代が交錯し、若干わかりにくいという声もありました。また、もう少し解説があれば、わかりやすく観てもらえるのではないかという点として、たとえば、なぜこんなに韓国の工場は次々と閉鎖してきたのか。それは決して韓国経済が行き詰っているからではなく、安い労働力を求める日本の「渡り鳥的」な工場進出の結果なのだということ。韓国の人たちにとっては自明のことでも、日本に住む私たちにはまだまだ知らないことが多く、もっと歴史を学ぶ必要があると感じました。
参加者の中には、さっそく自主上映したいと言う人もいました。この映画を深め、広げて行く一歩になったかなと思います。→自主上映のお問合せはレイバー事務局まで
シネクラブ@堀切です。 関東大震災から100年。9月1日に公開された映画『福田村事件』(森達也監督)が話題に なっています。 関東大震災での朝鮮人虐殺や虐殺の本質に真正面から迫る劇映画で、日本人が作ったとい う点でも、その歴史的意義は大きいと思います。 私も公開当日に観に行きましたが、想像した以上に素晴らしい作品でした。新聞雑誌の映 評のみならず、SNSでも多くの人が感想を書いていて、「ぜひ討論会をやりたい」という コメントもありました。 そこで、次回のシネクラブでは『福田村事件』をとりあげることにしました。映画は劇場 で観てください。できればパンフレット(1500円と高額ですが、シナリオが完全収録され ているなど読み応えがあります)を購入していただくとよいと思います。 討論の冒頭に、クローズアップ現代の森達也氏のインタビューを上映します。 9月30日(土)17時30分から。会場はいつもの郵政共同センター(JR秋葉原、JR御徒町か ら徒歩10分 地下鉄末広町4番出口からすぐ) 思い思いの感想を持ち寄りながら、より考えを深めていければいいなと思っています。 ふるってご参加ください! 映画公式サイト https://www.fukudamura1923.jp/
9月30日、レイバーシネクラブでは『福田村事件』の討論会を開催した。20名が参加で大盛況。久しぶりに顔を見せてくれた人、映画監督、クラファン出資者、元新聞記者、組合活動家、在日三世、・・・実に多様な人たちが集まった。「上映禁止になるかも」という森達也監督の心配をよそに公開から一ヵ月。多くの人が劇場に足を運び、増版された1500円のパンフ、濡れ場シーンの是非論など、話題に事欠かない。
まずは一番言いたいことを、一言ずつ語ってもらう。よくぞ作ってくれた、今これをやらねばという映画人たちの勇気、これが大筋の感想だった。その上で、引っかかること、危うく感じることを仄めかす意見もあった。
事実と脚色が混ざっているのは当然だが、映画を観ただけでは意味がつかみきれない。二巡目からは、それを補うような話も多数出てきた。たとえば東出昌大演じる船頭が「朝鮮人は嫌いじゃ」と言う理由。これは日本が朝鮮支配したことへの反逆を恐れてということだけではなく、野田の醤油工場で最も長くストライキが闘いとられたことと関係があるのではないかという話は興味深かった。
そして、この映画は日本の加害の歴史について描いているのに、ネトウヨも櫻井よしこ氏も何も言わない(私の知る限りでは)のはどうしてなのかという話になった。「加害者を描きたいと森さんは言うが、本当に加害を描いたと言えるのか」という意見があり、ああ、そうかと思った。流言飛語を放出し、平気で人を殺めるというあの雰囲気を作ったのは誰なのか。そこへの切り込みが弱いのではないかと。
内なる差別との闘い、集団の中で個を保つことの難しさを森監督はいうが、それだけでいいのか。そのことに気づかせられたのが、私には最大の収穫だった。「違和感」に目を向け、意見を出しあうことの大切さを感じた。その意味で、討論会をやってよかったと思う。
この討論を踏まえて、もう一度観に行くという人もいた。いろいろなところで討論会がやられているようだ。若い人たちがどう感じたか、聞いてみたい。(報告=堀切さとみ)
7月9日、沖縄の現実を描いたドラマ『フェンス』を上映しました。WOWOWの連続ドラマで全5回。これを、途中二回の小休止を挟みながら一挙上映。参加者は12名。沖縄に住んでいる人、最近南西諸島を旅したという人、親が沖縄出身という人、さまざまな人が参加されました。レイバーネットのイベントカレンダーに「沖縄のドラマ」と記してあるのをみて、何をやるんだろう?と想像しながら来たという方も4名いらっしゃいました。タイトルも含めてお知らせできるのはメーリングリストに限られているので、新たにМLに加えさせていただきました。
沖縄の基地問題がニュースで伝えられることはほんのわずか。沖縄と本土の情報格差は著しいですが、その穴を埋めようと、沢山のドキュメンタリーやルポルタージュが作られてきました。その中でもこの『フェンス』は、基地反対運動をしている人にも、沢山の気づきを与えてくれるドラマです。性被害がひとつの柱になっていますが、男女の壁、基地賛成反対の壁、本土と沖縄の壁、あらゆる壁を乗り越えようとする、制作者の強い思いを感じました。沖縄出身と、沖縄で取材を続けてきた二人の若い男性プロディーサーが、このドラマに駆けた思いを語っています。→https://corporate.wowow.co.jp/features/detail/5097.html
今回は、番組を録画した方がDVDを貸して下さったおかげで、この作品に触れることができたのですが、ぜひ沢山の人に観て欲しいというのが参加者全員の感想でした。そんな折、今『遠いところ』(工藤将亮監督)の映画が公開され、こちらも沖縄の少年少女たちの生の声を徹底的に聞いて取材した末の物語だそうです。
参加された皆さん、長時間お疲れさまでした。推薦してくれた和田さん、ありがとうございました。皆さんのご感想、ぜひお寄せ下さい。(H)
5月7日、定例会を開催しました。参加者は9名でした。 同じ時間に高円寺で入管法改悪反対のデモが行われました。デモに駆けつけた人、また、 行きたかったけれど雨なのでシネクラブに来たという人もいましたが、いずれにしてもお 疲れさまでした。
2時間40分を超える大作でした。観終わった後、すぐに一時間ほど討論しました。私はお そらく参加者の中では一番、中国史について知らないと思います。それでも、楽しめる映 画でした。 三歳で皇帝に任命された溥儀が、やがて満州国を作るために利用されていく。1950年に戦犯収容所に入れられた溥儀が、数奇で翻弄された我が人生を回想するという形で、映画は 流れていきます。
参加者からは「時代が行ったり来たりするので疲れた」という感想があったかと思うと「 あくまでも戦犯収容所のことが映画の軸になっている」という意見もありました。ただ、 そうだとしたら、もっと戦争(日本の支配)に対する批判が出てきてもよかったのではな いかという人、いやいや、それをやってしまったら、溥儀の映画ではなくなってしまうと いう意見もありました。 結局何を言いたい映画なのか、今一つ中途半端だという何人かの意見がありましたが、私 は天皇ヒロヒトと溥儀が重なって見え、直接的にではないが日本の天皇制を批判している のではないかと感じました。また、中国帰還者連絡会に通じる人たちが何人かいたので、 戦争で自分がしたことを反省するとはどういうことか、という話が軸になったように思い ます。
この映画は中国語でなく英語でやり取りされているのも気になりました。広く世界に観て 欲しいという監督の願いと同時に、中国ではあまり受け入れられないことを早々から見越 してのことだったのかも知れません。 次回は、『ドクトルジバコ』『ニッポン国古屋敷村』をやりたいという声がありました。 どちらも上映時間は3時間半。2時間40分でも「長かった~」という声があがったので、検 討しなければと思っています。
2月11日、今年最初のシネクラブ『フラガール』を開催しました。9名の方にご参加いただきました。
すでに観たという人がほとんどでしたが、「もう一度観たい」という気持ちになるのでしょう。そして「やっぱり何度みても泣ける」映画でした。
1960年代、終わりゆく石炭の時代。炭坑と言えば三井三池炭鉱、夕張炭鉱が有名ですが、福島県いわき市の常磐炭坑もその一つ。閉山に追い込まれるのを見越して、いわき市では「ハワイアンセンター」を作って町おこしをしようという計画が持ち上がりました。「東北をハワイの南国にする」「目玉は地元の炭坑娘のフラダンスショー」という計画は炭坑労働者の失笑と反発を買いましたが、東京からやってきたダンス講師(松雪泰子)と炭坑娘のきみこ(蒼井優)たちの頑張りによって、炭鉱夫、その家族、町の人々の意識がどんどん変わっていくのです。
かなり実話にもとづいているのですが、どこがフィクションなのか。なぜ実在しない駅を登場させたのか等、細部にわたる考察が続きました。一回目に観たときは、さほど印象に残らなかった人物に、いたく感情移入したという感想もありました。
いわき市出身の男性、労組で闘った人、現役の郵便局員・・・さまざまな人たちが参加し、興味深い話が次々に飛び出しました。冒頭のシーンで、常磐炭坑2000人の労働者が首切りになる代わりに、「ハワイアンセンター」を作って500人を雇用するという。じゃあ1500人はどうなったのか?・・・すかさず郵政共同センターのOさんが「郵便配達員になったんですよ」と教えてくれたのです。聴けば郵便配達員というのは、軍人、炭坑労働者、国鉄労働者が首切りにあったときの雇用調整につかわれたとのこと。
2011年の福島第一原発事故の前と後では、この映画によせる思いも変わるだろうと私は思います。石炭は自ずから斜陽するのを認める以外なかったけれど、復興を支えたのは地元の人達だった。他方、原子力はあれだけの損害を出しても、尚しがみついている。そして復興は、地元とは関係なく進んでいる。
次回定例会は4月を予定しています。リクエスト、ぜひお寄せ下さい。(堀切さとみ)
11月20日の『大統領の理髪師』は、20名の参加でした。 シネクラブは2018年3月から始まり、会場を転々としながら郵政共同センターに落ち着きましたが、この会場はじまって以来の人数ではないでしょうか。 ソン・ガンホ効果もあって、初めて参加してくださった方も多く、8割が女性でした。
初参加のOさん、早々に感想を送って下さり、ありがとうございました。 観るだけでなく、皆で討論することで、自分だけではみえなかったことに気付いたり考えを深めたり、できれば何か行動に移していけたら。そう思って続けてきたので、とっても嬉しかったです。
今回の映画は「イメージと違っていた、よくわからなかった」という声もありましたね。そんな時こそ是非、討論に加わってもらえればと思います。
以下、寄せられた感想を紹介します。 (堀切)
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◆ソン・ガンホが庶民の「生き抜く」表情をみごとに表現していましたね。
20代の韓国留学生のジョンさんが参加し、コメントしてくれたので、より韓国の歴史や社会への理解が深まったと思います。彼女がいっていましたが、2000年までは政治批判の映画をつくることができず、その後にこうした作品(2004年作品)が作れるようになったそうです。
映画は朴正煕時代の話ですが、その後はひどい全斗煥の光州事件がありました。
朴正煕のときは独裁政権ですが、経済成長があり、それが長期政権を支えました。
なので、娘の朴槿恵政権には、庶民からの期待はあったが、結局裏切られたとのことです。
それは民衆がキャンドル革命で倒して、文在寅政権になるわけですね。
映画には日本の影もたくさん出てきますが、韓国のことを考えることは
私たちにとってもとても重要ですね。映画が橋渡しをしてくれるでしょう。(松原明さん)
◆本日は「大統領の理髪師」映画会を有難うございました。用事のため、早めに退出させて頂き、皆さんの感想が聞けなかったのが残念でした。
ソン・ガンホ「パラサイト」「弁護人」などで様々な役を使い分ける名優です。小心、権力に従う小市民の顔から、ゴミのように袋に入れられ、捨てられた辺りからは、眼光鋭くまっしぐらに弱者の側に立った自立した顔であった。最後の息子と共に自転車で走る時の顔は、親の愛情、喜びが伝わるなど、表情変化が様々に感じられ、セリフなしに映画を見てもストーリーがわかるように思う。私も顔の表情にもっと自覚したいものだ。
初めは、息子の拷問がクリスマスみたいな感じで戯画化され、奇妙な感じがした。韓国の大統領のストーリーならば、シリアスな拷問と思い込んでいたので。足が立たないようになる光景は、足が腫れ上がった死体になって返された小林多喜二や、徐兄弟の拷問後の死刑判決写真。伊藤野枝大杉栄、宗一少年の残酷な殺され方を思い出した。強圧権力にとって庶民は、捨て石、ゴミのように扱われるのか・・・といろいろ思い浮かべた。
私の稚拙な推論だが、これは親子で見ても良いように、主人公の息子が、一見主体のように進められているのかな?(ビタミン和子さん)
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次回は来年一月に開催します。
ひきつづき、今回の感想、観たい作品など、ぜひお寄せ下さい。
堀切@シネクラブです。
10月16日に定例会を開催し、『僕たちは希望という名の列車に乗った』を観て討論しました。
この日は統一マダンなど、様々なイベントと重なってしまったのですが、11名が参加。そのうち男性は二名。そして、韓国からの留学生が初めて参加してくれて、上映後の討論も懇親会も。ずいぶん盛り上がりました。
映画館で観たという人も何人かいましたが、異口同音に「内容はほとんど忘れていた。でも今回観てみたら、その素晴らしさに圧倒されてしまった」。
この映画が公開されたのは2018年。そんなに古い映画ではありません。でも、このわずか数年間に、コロナ、復興五輪、ウクライナ戦争、安倍国葬・・・いろんなことが押し寄せて、否応なしに私たちにいろいろなことを考えさせたということなのかもしれません。
物語は1956年、ベルリンの壁ができる数年前の東ドイツ。素晴らしいはずの社会主義。しかし、ハンガリーの民衆蜂起をソ連が圧殺するニュースをみて、高校生たちは教室で二分間の黙とうをする。たったそれだけのことを体制側は恐れ、黙とうの首謀者を教えなければ全員卒業させないというのです。
「主義」に従わせるための常とう手段は、レッテル張りをすること。若者たちを分断し、仲間を裏切らせること。家族や出世、どっちを選ぶのかと迫ること。そういう葛藤を、若き日々に私自身も経験したし、ここ数年の世界情勢や日本社会をみれば誰もが、それを実感せざるを得ないからでしょう。参加者の中には、社会主義に憧れたベトナム反戦世代、社会主義も共産主義もわからないという人、いろいろでしたが、とても活発な討論になりました。
この映画は実話に基づいていて、エリートたちは東から西に逃亡するのですが、そこに希望があるというよりも、誰もクラスメートを裏切っていない。そのことに私は希望を感じました。そして、この映画を推薦してくれたТさんが言ったひとこと。「今、自己責任っていうのが問題になっているけど、本当の自己責任っていうのは”自分で決めるんだ”っていうことだと思う」
映画の中の高校生たちは、まさしくそれだったのです。
次回は11月20日(日)に、韓国映画を観たいと思っています。タイトル未定。オススメがありましたら、ぜひお寄せ下さい。
2月6日、シネクラブ定例会で、市川崑監督の『東京オリンピック』を取り上げた。1964年に開催された東京五輪の公式記録映画だ。
集まった大半が、半世紀前の東京五輪を体験したという世代。2時間半の映画を観た後、自身のオリンピック体験を生き生きと語る人が何人もいた。そんな時代を知る由もない20歳の女子学生の参加もあって、世代を超えたとても楽しい討論会となった。
オリンピックは、その是非をめぐって論議が続いているが、1964年といえば戦後の記憶が残り、高度経済成長の真っ只中。その中で開催された東京五輪は今よりずっと、人々の期待を集めた歴史的イベントだったことがわかる。製作費三億円、750万人が観たというこの映画。黒澤明や今井正に断られ、市川崑に総監督が託されたのはオリンピックが開催されるその年になってからだとか。選手たちだけでなく、映画監督にとっても、五輪という現場は半端じゃないプレッシャーだったのだろう。
2020東京五輪は安倍首相の「アンダーコントロール」という嘘から始まり、開催前にはコロナが押し寄せ、国内でも8割の人が反対した。そんな中、今回の公式記録映画を担当する河瀬直美監督は「オリンピックを招致したのは私たち」と語っている。彼女がつくる映画がどのようなものになるのか。注目したい。
定例会のあと、参加者の笠原真弓さんが感想を寄せてくれたので、紹介します。(堀切さとみ)
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生身の人間の姿をとらえた市川崑のカメラ
笠原真弓
シネクラブの仲間と、56年前の映画『東京オリンピック』を見た。市川崑監督だ。完成した時も観たけど、内容は全く忘れていた。オリンピックの政府側の人(河野一郎と今日調べたらわかった)が、いちゃもんを付けたことから、当時は大きな話題になっていた。今回見直して、素晴らしい芸術映画だと思った。だから「おじさん頭」には嫌われたのだ。
日本がメダルを取った表彰式や君が代、日章旗があまり登場しない。体操の場面の肉体の美しさとか、100m走のスタート前、選手がスタートに使う足を置く金具(ああいうものを使うとは知らなかった)を自分で調整しているその顔の真剣さと、修行僧のようなたたずまい。1000m走を走り終えた人の靴を脱いだ足の裏など、驚くような画面にあふれていた。1000m走では、トラックを何周もするのだが、割と早く周回遅れになった人をとらえ、最後にゴールしたその人が結構しっかりとした足取りでゴールしたところまで追っているのには笑ったし、マラソンの給水スタンドでの各選手の個性的な表情をとらえるカメラに、アスリートに対する市川監督の愛を感じた。
時を経て、今のオリンピックそのものの変化や、それに対するこちらの拒否的な気持ちのふくらみなどを持ちながらこの映画を観ると、当時とは違った思いになるのは当然だと思った。例えばトップシーン。鉄球がオリンピックの競技場建設のためにアパートを壊していくところから始まるのも、五輪が今ある平和を壊しているようで、ちょっと怖かったり(そのアパートに住んでいた人は立ち退き、新しいアパートに入ったが、結局そこも今度の五輪で立ち退かされたということだ)、さまざま考えさせられた。
感動したのは、閉会式でのハプニングだ。先頭に入った国の選手の中に、赤い服の日本選手が数人担がれたりしていると思ったら、各国ごちゃごちゃに競技場に入ってきて、友好的に楽し気にふるまっていたのだ。今あらためて観て、これこそ真の平和の祭典のフィナーレにふさわしいと思った。
映画
は「オリンピックは、人類の持っている夢のあらわれである」というメッセージで始まり、「聖火は太陽に帰った。人類は4年ごとに夢を見る。この創られた平和を夢で終わらせていいのか」で終わる。「創られた平和」にやっぱり引っかかる。国民の声を踏みにじってゴリ押し開催した東京五輪の直後であり、北京冬期五輪の最中に、そして札幌冬季五輪に立候補しようと惚けた人たちのいる今だからこそ、いっそう考えさせられた。
10月16日に、五カ月ぶりにシネクラブ開催しました。
今回特筆すべきは、スクリーンが100インチの大きなものにかわったこと。役所広司演じる元ヤクザが、まっすぐなままシャバに出て再出発するその人間模様を、映画館さながらの上映環境で観ることができました。
12名が映画を観て、10名が討論に参加しました。男性は三名。あとは女性。
佐木隆三「身分帳」が原作とはいえ、ラストの介護施設など西川美和監督が付け加え、現在の社会を言い当てた場面がたくさんありました。
刑務所は「いじめるのが仕事」「痛い目に合わせる場所」という反面、やはり社会から守ってもらえる場所でもあります。出所しても何割かの人が戻ってくる場所。それほど
それでもこの映画では、まっすぐに正直に生きる主人公・三上に対して、どこかで共感し支える人たちがたくさん出てきます。
そのうちの一人がいうセリフに「レールを外れてない人間も幸せを感じられないから、レールを外れた人間に冷たく当たる」というのがありましたが、みな生き難さを感じている。
『すばらしき世界』というタイトルの意味するものや、三上は最後、なぜ死んだのかをめぐって、自由な討論になりました。
さて、次回ですが、 以前、メンバーの斎藤なぎささんが推薦していたドキュメンタリー『一人になる』をやりたいと思っています。副題は「医師 小笠原登とハンセン病強制隔離政策」です。
関西では上映されているようですが、関東では自主上映のみ。日程は後日決めてお知らせします。 (堀切)
5月29日、郵政共同センターに、20人の方が参加してくださいました。
『マルモイ』は想像した以上でした。日本の植民地時代、奪われようとする言葉を守った朝鮮の人たちのドラマですが、ユーモアにあふれエンターテイメントとしても素晴らしかった。ちょうど入管収容所で亡くなったウィシュマさんの葬儀が行われ、そこに参列してから駆けつけてくれた人も何人かいました。外国人とみるや、もはや人間として扱わないあり方は、まったく変わっていないことを痛感しました。
映画が素晴らしかっただけに、橘さんご指摘のとおり、上映環境が悪かったことは本当にもったいなかったと反省しています。スクリーンが歪んでいたり、窓を開けていたため、外の音や光が入ってしまったり。感染対策でやむをえない部分はありましたが、次回からスクリーンは大きいものに変えようと思っています。また、椅子の配置もセンスのある方の力をお借りしたいです。そうそう、女性の参加者、たしかに多かったですね~。
今、ブッククラブだけでなく川柳班も、オンライン参加を充実させる方向のようで、シネクラブもzoom参加を可能な状態にしていますが、シネクラブは映画というジャンルのせいか直接会場においで下さる方が大半です。懇親会も皆さんの持ち寄りで楽しく開催でき、顔を合わせて話が出来る、というのは何て素晴らしいことかと実感します。ただ「久しぶりに都内に出て、過密状態だったので不安になった」という声もありました。皆さんそれぞれに、警戒心を持って足を運んでくださっているのでしょう。今のところ、全面的にオンライン化することは考えず、可能な限り会場に集まるスタイルでやっていきますが、討論会や懇親会はパスしても結構ですし、無理のない形で参加していただければと思います。(堀切)
4月10日、アメリカ・マッカーシズムが吹き荒れる1950年代を描いた『トランボ~ハリウッドに最も嫌われた男』の上映&討論会を、郵政共同センターで行いました。
セッティングに時間がかかってしまいワタワタしている間に、次々と新しい人が入って来てくださるのでビックリ。16人の参加。うち初参加者が3人、前回からの参加者が2人でした。嬉しい悲鳴です。開始時間が遅くなってすみませんでした。待っている間、前回の『ジョニーは戦場へ行った』の木下昌明さんによる映評をみつけたので、皆さんに配って読んでもらいました。
前回の『ジョニーは戦場へ行った』の脚本を書いたのがトランボだったこともあり、松原さんがこの作品を推薦したのですが、他の人からも「勇気をもらった」「用事があって途中退席するつもりだったけど、あまりに素晴らしくて動けなくなった」という感想が次々と出てきました。
共産主義への弾圧が吹き荒れる中、映画人がどう生きたのか。権力に寝返る人も出てきますが、そうした人も含めて「誰もが被害者だ」とトランボは言います。でも、そういってしまっていいのか。レッド・パージを支えたのは誰なのか。加害者に責任をきちんと取らせなかったことで、同じようなことが今も変わらず起きているのではないか。そんな意見も出てきて、考えさせられました。
また、高校時代をアメリカで過ごしたという女性参加者は「レッドパージがなぜ起きたのか、議論するような授業がアメリカにはあった」と話してくれました。過去の歴史に学ばない、議議論をしないという点では、日本はもっとも遅れていると、あらためて認識させられる思いです。
一時間ほど感想を言い合ったあと、10人ほどが残って二次会。仕事のこと、映画のこと、いろいろな話で盛り上がりました。コロナ禍にあって、このような場がますます求められているんだなあと実感しています。引き続き、これからもよろしくお願いします。
次回は5月29日(土)16時から、郵政共同センターで行います。皆でみて討論したい映画がありましたら、ぜひリクエストを寄せてください。今のところ有力なのは、韓国映画です。 (堀切さとみ)
3月14日、今年最初の定例会をおこないました。10人の方が参加して下さり、そのうち3人 が初参加(一人はオンライン参加)でした。 レイバーネットのイベント情報をみて来たという人は、「アメリカの反戦映画」としか書 いていないので「何をやるのか、ベトナム戦争ものかな」と予想して来てたそうです。蓋 を開けてみると『ジョニーは戦場へ行った』だったので意外だったと。これは1939年に書 かれた小説を映画化したものですが、第二次大戦時には発禁、朝鮮戦争でも発禁、ベトナ ム戦争時にようやく日の目を見た作品だそうです。 平和と民主主義を守るために戦争に行き、負傷したジョニーは、他の患者を救う研究材料 とされます。「感情も記憶もないもの」とみなされ、治療と称して手足を切断されますが 彼の意識は明瞭で、そのことが周囲には伝わらない中で苦しんでいます。 映画は、病室のベッドの上で白い布をかぶせられたジョニーと、これまでジョニー体験し たことの記憶が交互に描写されていきます。 モノと化したジョニーを、次第に人間として扱う看護師が現れ、彼が何を望むのかを読み 取ろうとする。彼が望んだ生き方は、自分を見世物にすることでした。 ********************** 乱さん、小川さんが推薦していた映画だったのですが、観てヨカッタ。「こんな戦争映画 があったのか」と驚く人が多かったです。たとえ生き延びたとしても、ジョニーのような 状態で生きていたくないという人が大半なのでは。しかし人として生きようとするなら考 え続けるしかないというのが、この映画のメッセージだと思いました。日本で公開された のは1971年。当時のセンセーショナルな記憶が蘇ったという人も。ベトナム戦争でのアメ リカの非道さを伝えるために、メディアは大きな役割を果たしました。その反省から、特 に湾岸戦争以降メディアコントロールが強まったのは知っての通り。権力サイドは学び、 変わっているのに民衆はどうなのか。 原作、監督はダルトン・トランボ。彼の生涯を追った映画『トランボ ハリウッドに最も 嫌われた男』を観たいという声もあがりました。 次回の日程は4月10日(土)16時から、場所は郵政共同センターです。
10月3日、郵政共同センターで定例会、『千と千尋の神隠し』を開催しました。
集まったのは11人ほど。いつもより少なかったのですが、とても面白い討論になりました。コロナ以降初参加者が増え、今回は『憲法を考える映画の会』の花崎哲さんや、ブッククラブの篠木祐子さん等が加わってくれました。すでに劇場でみたという人も、今この映画をみたらどう感じるか、他の人がどう思うのか知りたくて来たという人も多かったです。
『千と千尋の神隠し』は、トンネルのむこうにある別世界に入り込み、さまざまな妖怪たちに翻弄されながら成長する少女の話。単純化すればそんなストーリーのこの映画を、宮崎駿は10歳の友人のために作ったそうです。 2001年公開の映画ですが、日本歴代興行収入一位は未だ塗り替えられていません。その是非はともかくとして、声高に「反戦」を訴えていたら、こうはならなかったでしょう。
宮崎映画のファンですべての作品を観たという人がいる一方、この映画の何が魅力なのか、さっぱりわからなかったという人もいました。 (堀切さとみ)
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(篠木)この映画は未見。家でパソコンで観るより、少しでも大きい画面で観たかったし、皆さんがどう感じたか聞きたくて今日は参加しました。光と闇、悪と善があって、二分できない。絵も今ならCG技術があるが、手書きの良さ。安心できる。10歳の少女が喜ぶような作品を作りたいと、子どもたちを集めて合宿をしたという宮崎監督。少女の感覚がよく表現されていた。トンネルを抜けて非日常へ・・・というよくあるパターンだが、神話の世界と近代資本主義の対比がうまく表現されていた。千尋の両親が屋台で食べるシーンは無限の貪欲さの象徴であり、千尋は危険を感じて不安に思う。私自身、子どもの頃に感じた感覚が呼び覚まされた。寂しさ、どうしようもなさ、どうして?という気持ち。そんなところがおもしろかった。
(花崎)息子が宮崎駿ファンなので、私も一緒にすべての作品を観た。宮崎映画は表現が素晴らしい。子どもが観ると、理屈はわからなくてもすべて頭に入ってしまい、考えが広がっていくようだ。今日あらためてこの映画を観て、宮崎はいろいろな作品(『注文の多い料理店』や『銀河鉄道の夜』など)の影響を受けていることに気づいた。
(斎藤)怖いものが襲ってきても仲良くしようとしたり、違和感なく取り入れる千尋をみて、私も子ども時代の感覚を思い出した。子どもの頃見た夢では、どんなに襲われても決して死なないのだ。それから、千尋はハクという少年に「この世界では名前を奪われ、別の名前で生きなければいけないが、決して元の名前を忘れてはいけないよ」と言われるのだが、ハクが人間ではなく「コハク川」という川だったというのが意表をつかれた。
(早川)映画館でみて、今回二回目。面白いと思えなかった。何が言いたいのかわからなかった。単純に「おもしろい」「きれい」で済ませればいいのに、わかりたいという気持ちが強すぎて。
(野村)私も二回観たけど、さっぱりわからない。木下さんの解説が聞きたくてここに来た。
(永井)この映画が公開されたとき、とても話題になっていたのに観そびれてしまった。2001年当時は小泉政権。バブルがはじけてテーマパークが潰れた。そんな時代をとらえた映画だと思ったがそれは入り口にすぎず、そのあとはまったく様相が変わっていった。妖怪は実は人間で、ハクという清流やヘドロが出てくる。僕は映画を観るときいつも「オチ」を気にするが、この映画は「夢ではなかった」というのがいい。
(松原)大人は「何が言いたいのか」と考えてしまいがちだけど、子どもがみたらスッと入ってくるんだろう。困難にぶち当たりながら前向きな千尋。お金じゃない愛、夢、素直に生きたいという気持ちを育んでくれる。電通や読売新聞がスポンサーだというが、そうしたものまで組み込んで、宮崎は大切なものを伝えていると思う。働く者の権利、助け合うこと、そういうことが随所にちりばめられている。湯婆が名前を変えて支配するところは創氏改名をイメージさせられるが、それを声高に言わずに、個人の生き方を大事にすることを伝えている。
(堀切)千尋は風呂を沸かすためのコークスを燃やす労働現場を見せつけられる。そこで「働かせてください」と言わなければならないが「お前なんかいらない」と言われてしまう。厳しい社会の現実に直面するが、それぞれの場面で皆が千尋の見方をしてくれる。子どもに疑似体験させているというか、「これからだよ」という関わりがいいなと思った。それから宮崎アニメは、わけのわからない妖怪たちにも敬意を表している。以前テレビで、CGで障害者の動きを再現したアニメーターが「グロテスクなだけだ。人間への尊厳が感じられない」と宮崎にこっぴどく批判されているのをみたことがある。その点において宮崎はとても厳しい人だと思ったし、だから子どもたちに見せられるのだと思う。
(奥山)そう。宮崎は対象を「よーく見ろ」という。たった一枚、宮崎が描いて足すと、表情や動きが全然違ったものになる。
(篠木)宮崎かんとくの描く妖怪は、かわいらしさがありますよね。100%悪なのではない。しかも多様。臭いヘドロのお化けがお風呂から出てくるとガラクタだったり。まさに大量生産大量廃棄の文明批判。寝ないでコークスを燃やし続ける釜爺を観ていると「モダンタイムズ」のよう。
(松原)かといって声高に批判しているのではない。わかる人にはわかるっていう・・・。
(乱鬼龍)そのヘドロの中から金が出てくるっていうのを観ると、まさに携帯電話から金をとるのを想像するね。
(木下)それから、この映画に出てくる神はキリストみたいな一神教でなく、万の神なんだよね。昼間は人間世界でけがれや汚れにまみれ、夜は銭湯にやってくる。その中でも、「カオナシ」というキャラクターを出してきたのがおもしろい。こいつは幽霊みたいに自分じゃ何もしゃべらない。声もなければ顔もなかったのに、カエルを食べたらニョロっと足が出る。従業員を食うと従業員の声を使って話をする。いろんなものを食べて自分という存在を作り出していく。菅(首相)そっくりだ。ぜんぜん自分がないし言葉を持ってないんだよね。首相になってからの演説も「携帯料金を値下げしろ」。こんなの政策ではない。スマホを安くすれば本を読まなくなる。ヒトラーが本を焼いたのと同じだ。
(堀切)宮崎駿への評価は高いが、『風立ちぬ』にあらわれているように、反戦を徹底できないという課題を負っているのではないかという意見もありますが。
(木下)『風立ちぬ』は特攻機を作った映画で、たしかにあのラストには違和感がある。しかし宮崎の映画にはいろいろあって、ひとくくりにはできないと思う。
(松原)黒澤明もそうだが、戦前は戦争賛美、終わったとたんに反戦になるという人はいる。多くの作品を作っていれば、いろいろある。
(木下)宮崎駿は父親が特攻機の技師だった、その父への思いがあったのだと思う。
(篠木)宮崎駿作品を私はそんなに見たわけではないけれど、自然と文明、人が自然と共存して、どうサステナブルを作っていけるかというのが一貫したテーマだと思う。「失われゆく」というけれど、人間が破壊しているんですよね。
*なお、木下さんが次号『月刊東京』に、『千と千尋の神隠し』の映画評を書いています。
8月10日、シネクラブを開催しました。題目は『たそがれ清兵衛』。木下昌明さんが「山田洋次の中で一番好き」だというイチオシ作品です。15人が集まりましたが、特筆すべきは、これまでで一番初参加者が多かったこと。イベントカレンダーを見た人から「山田洋次の作品というが、何をやるのか教えてほしい」という問い合わせが相次いだのです。<寅さん>でも<黄色いハンカチ>でもない時代劇でしたが、山田ファンのみならず、見事に参加者の心をわしづかみにしました。当の木下さんは残念ながら入院のため参加できませんでしたが、病院から電話をかけてくれました。初めてZOOMで参加した人もいました。
時代は幕末でありながら、現代社会の問題と見事に重なること。清兵衛は下級武士。妻とは死に別れ、老母の介護と二人の幼子を育てるために、出世とは無縁の生活を送っています。周囲からは嘲笑されていますが、個を抑圧しながら生きるあり方から自由である清兵衛は、とても魅力的でした。冒頭で娘たちが「繕い物は役にたつけど、なぜ学問が必要なの?」と清兵衛に問うのですが、父の娘への答えは「自分で考えて生きることができるようにだよ」というもの。結婚に失敗した幼馴染の朋江が清兵衛の家に出入りするようになり、そこで築かれる関係も素敵でした。山田洋次ファンの参加者からは「山田監督は女性へのまなざしがとてもよい」という指摘がありましたが、この映画もまさしくそうでした。コロナ禍で人間とはどう生きるべきなのか、考えさせられる中でこの映画を観ることが出来て本当によかったと、涙ながらに語る人もいました。以下、笠原真弓さんの感想を紹介します。
(堀切さとみ)
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山田洋次の『たそがれ清兵衛』を見た。自分の生き方と藩士であることの狭間で揺れる彼を見ていて、時代劇を借りた現代劇、しかも命をかけた切羽詰まったものだと思った(改ざんで苦しむ赤木俊夫さんにも通じるし…)。原作の藤沢周平の時代性と舞台となる明治維新の大変革、この映画が作られた2002年の社会と、監督の感性。そしてさらにそれを見ている私の「今」という感覚。
藩命で行く果し合いの現場での田中泯とのやり取りは、このためにこの映画は作られたというくらいの迫力だった。その言葉のいちいちに滲み出る共感。「この男を殺したくない」となかなか剣を抜かない清兵衛に対し、「この男になら殺されてもいい」と思う相手。しかも武士としての対面を保っての闘い。 そして最後の『男はつらいよ』に通じる監督独自の優しさ。
維新という価値観のひっくり返る時代に、下級武士という感覚は、現代のサラリーマンそのものだった。
そして、言わずもがなの蛇足だが、宮沢りえも最高に良かった!(笠原さんのFacebookより)
緊急事態宣言が解除となったものの、まだまだ先がみえないコロナ情勢。そんな中で六月六日、郵政共同センターで、久しぶりにシネクラブを開催しました。
12人が参加し、男性は三名(木下さん、松原さん、乱さん)といういつもの顔ぶれ。あとは「久しぶりに映画が観れると思って楽しみだった」という初参加者を含む女性たち。
いつにも増して、華やいだ上映会となりました。
・・とはいうものの、映画の後の第一声は「疲れた~!!」「ビール飲みたい!」・・でした。
今回の上映作品『コンティジョン』(2011年/アメリカ)の意味はズバリ「接触感染」。2011年と言えば東日本大震災と福島第一原発事故で、感染症などまったく人々の関心ではなかったのですが、公開当時に劇場で観たという人が三人いました。。「好きな監督の作品だったから」(Оさん)、「マット・デイモンが出ていたから」(Kさん)というのが観た理由で、木下昌明さんに至っては「その時は全然面白くなかった」とケンモホロロ。そんな映画が2020年の今日、こんなにリアルに迫ってくるとは!
WHOやCDC(疫病予防管理センター)やブロガーなど、いろいろな人たちが登場し、場面は世界中をかけめぐる。テンポが速くてついていけなかったという意見もありましたが(私も一回観ただけではわからないことが多く、三回観返しました)、よくぞ9年前にこれほどリアルな映画が作られたものだと驚く声が多かったです。
劇中、どのようにして最初の感染者が出たのか、CDC職員が監視カメラを探索するシーンが出てきます。日本では「最初の感染者になることは恥ずべき事」になっていますが、「感染者が謝らなければならない社会こそおかしい。謝るべきでなく助けるべき存在だ」という意見が出ました。そんな討論を通じて、もし同じタイトルの映画を日本で作ったら、まったく違う作品になるのではと思いました。
日本は幸いなことに感染者も死者も少ないですが、コロナによってではなく政治によって殺される人が増えています。アメリカの人種差別反対デモにみられるように、次のステージに来ているのは明らかです。「命と経済、どっちをとるか」といった図式を超えて、討論では多岐にわたる意見が出ました。ワクチンさえ開発されればOKなのか。動物認知学において「ソーシャルディスタンス」がどのような意味をもつのか等々、感染症が人間社会にどのような影響を及ぼすのか。日本のコロナ報道からは見えてこない視点ばかりで、とても刺激になりました。疲れる映画でしたが、みんなで観て話してよかった!
とはいうものの「次回はぜひ感動モノを」という声もあり、さっそく推薦作品が寄せられています。皆さんもぜひ! (堀切さとみ)
3月28日、シネクラブを開催しました。コロナで外出自粛要請が出され、悩む人もいたと思います。どうなることかと思いましたが、15人の参加がありました。(うち二人は初参加)
今回からスクリーンが新しくなり、途中「いいところ」で剥がれ落ちたりする心配がなくなりました。カンパしてくれた尾澤さんに感謝です!
さて「神なるオオカミ」について。中国文化大革命での下放労働の中で、オオカミと出会った青年の話です。文革を扱った映画というと暗いイメージがありますが、これは名作。とにかく雄大なモンゴルの大平原とオオカミたちの気高さに魅了され、あっという間に120分が過ぎてしまい、参加者は長いエンドロールの余韻に浸りました。
何より、オオカミの描き方には心底驚かされました。羊やシカを湖に追いやるシーンや至近距離でよだれまで見せている、CGでなく実写でここまでやれるのはどういうことなのか。木下昌明さんによると、この映画のためにカナダの調教師が四年間、母親から引き離してオオカミを育てたそうです。監督はフランス人で、動物を撮るのが得意だとか。「前回の『カニの惑星』もそうだったけれど、ここまでリアルだと本当にオオカミを応援したくなる」という感想もありました。オオカミというと「一匹狼」という言葉が象徴的ですが、ここにはリーダーのもとに団結するオオカミの姿が描かれていました。
モンゴルに青年団を率いた文革のリーダーは「オオカミは害悪だ」といいうけれど、モンゴルの人々は自然の秩序を守り、オオカミにどう対処すべきかを知っている。オオカミ=戦士であり、えさを与えられて育つものではない。しかし、主人公の青年は、オオカミの赤ちゃんを拾がい、内緒で育ててしまうのです。その主人公を身勝手だという感想もありましたが、自然は人間の思い通りにはならないことをを主人公は学んだのではないかという意見もありました。
「どんな生き物も自然界の掟をきちんと守っている」「人間だけが守らない」「人間は法律は守っても掟を守らない」という声もありました。中でも自分の体験談(サルを飼ってlabor-cineclub@list.jca.apc.orgいた話)を聞かせてくれる人もいて、これがまた映画になりそうなほど面白かったです。
※一時間ほど映画の討論をした後、参加者のひとり後呂良子さんが、この三月でメトロを退職することになったことを報告しました。13年働きながら、正規と非正規の圧倒的格差を是正するために頑張ってきた後呂さん。「労働争議が好きだったんじゃなくて、この仕事が好きだった」と語っていました。駅の売店といえば、どんなに頑張ったところで乗降者数で売り上げは決まるのだろうと思っていたのに、後呂さんの勤める売店はいつも売り上げを伸ばしてきたそうです。店に花を飾ったり、お客さんとの会話を大切にしながら「オアシス」になることを目指してきた・・・。そして自分が異動した後も、その駅で働く人が仕事しやすいように心がけてきたと語っていました。こんな魅力的な店員をクビにするというのは、後呂さんが組合員であるからに他なりません。でも、組合がなければ会社と交渉することもできない。だから組合を作ったのです。後呂さんが四人のメンバーで作ったメトロコマースの組合の闘いの記録は「メトロレディーブルース」「非正規に尊厳を」などの映画になり、韓国でも翻訳が進んでいます。いずれシネクラブでも上映できればと思っています。(堀切さとみ)
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