<レイバーシネクラブの報告>

● 2022.2.6 半世紀前の東京五輪は、どう記録されたのか~『東京オリンピック』を観る

 2月6日、シネクラブ定例会で、市川崑監督の『東京オリンピック』を取り上げた。1964年に開催された東京五輪の公式記録映画だ。
 集まった大半が、半世紀前の東京五輪を体験したという世代。2時間半の映画を観た後、自身のオリンピック体験を生き生きと語る人が何人もいた。そんな時代を知る由もない20歳の女子学生の参加もあって、世代を超えたとても楽しい討論会となった。

 オリンピックは、その是非をめぐって論議が続いているが、1964年といえば戦後の記憶が残り、高度経済成長の真っ只中。その中で開催された東京五輪は今よりずっと、人々の期待を集めた歴史的イベントだったことがわかる。製作費三億円、750万人が観たというこの映画。黒澤明や今井正に断られ、市川崑に総監督が託されたのはオリンピックが開催されるその年になってからだとか。選手たちだけでなく、映画監督にとっても、五輪という現場は半端じゃないプレッシャーだったのだろう。

 2020東京五輪は安倍首相の「アンダーコントロール」という嘘から始まり、開催前にはコロナが押し寄せ、国内でも8割の人が反対した。そんな中、今回の公式記録映画を担当する河瀬直美監督は「オリンピックを招致したのは私たち」と語っている。彼女がつくる映画がどのようなものになるのか。注目したい。

 定例会のあと、参加者の笠原真弓さんが感想を寄せてくれたので、紹介します。(堀切さとみ)


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生身の人間の姿をとらえた市川崑のカメラ
  笠原真弓

 シネクラブの仲間と、56年前の映画『東京オリンピック』を見た。市川崑監督だ。完成した時も観たけど、内容は全く忘れていた。オリンピックの政府側の人(河野一郎と今日調べたらわかった)が、いちゃもんを付けたことから、当時は大きな話題になっていた。今回見直して、素晴らしい芸術映画だと思った。だから「おじさん頭」には嫌われたのだ。

   日本がメダルを取った表彰式や君が代、日章旗があまり登場しない。体操の場面の肉体の美しさとか、100m走のスタート前、選手がスタートに使う足を置く金具(ああいうものを使うとは知らなかった)を自分で調整しているその顔の真剣さと、修行僧のようなたたずまい。1000m走を走り終えた人の靴を脱いだ足の裏など、驚くような画面にあふれていた。1000m走では、トラックを何周もするのだが、割と早く周回遅れになった人をとらえ、最後にゴールしたその人が結構しっかりとした足取りでゴールしたところまで追っているのには笑ったし、マラソンの給水スタンドでの各選手の個性的な表情をとらえるカメラに、アスリートに対する市川監督の愛を感じた。

 時を経て、今のオリンピックそのものの変化や、それに対するこちらの拒否的な気持ちのふくらみなどを持ちながらこの映画を観ると、当時とは違った思いになるのは当然だと思った。例えばトップシーン。鉄球がオリンピックの競技場建設のためにアパートを壊していくところから始まるのも、五輪が今ある平和を壊しているようで、ちょっと怖かったり(そのアパートに住んでいた人は立ち退き、新しいアパートに入ったが、結局そこも今度の五輪で立ち退かされたということだ)、さまざま考えさせられた。

 感動したのは、閉会式でのハプニングだ。先頭に入った国の選手の中に、赤い服の日本選手が数人担がれたりしていると思ったら、各国ごちゃごちゃに競技場に入ってきて、友好的に楽し気にふるまっていたのだ。今あらためて観て、これこそ真の平和の祭典のフィナーレにふさわしいと思った。

 映画 は「オリンピックは、人類の持っている夢のあらわれである」というメッセージで始まり、「聖火は太陽に帰った。人類は4年ごとに夢を見る。この創られた平和を夢で終わらせていいのか」で終わる。「創られた平和」にやっぱり引っかかる。国民の声を踏みにじってゴリ押し開催した東京五輪の直後であり、北京冬期五輪の最中に、そして札幌冬季五輪に立候補しようと惚けた人たちのいる今だからこそ、いっそう考えさせられた。


● 2021.10.16 『すばらしき世界』ムショ帰りから見える現実

10月16日に、五カ月ぶりにシネクラブ開催しました。
今回特筆すべきは、スクリーンが100インチの大きなものにかわったこと。役所広司演じる元ヤクザが、まっすぐなままシャバに出て再出発するその人間模様を、映画館さながらの上映環境で観ることができました。
12名が映画を観て、10名が討論に参加しました。男性は三名。あとは女性。
佐木隆三「身分帳」が原作とはいえ、ラストの介護施設など西川美和監督が付け加え、現在の社会を言い当てた場面がたくさんありました。
刑務所は「いじめるのが仕事」「痛い目に合わせる場所」という反面、やはり社会から守ってもらえる場所でもあります。出所しても何割かの人が戻ってくる場所。それほど
それでもこの映画では、まっすぐに正直に生きる主人公・三上に対して、どこかで共感し支える人たちがたくさん出てきます。
そのうちの一人がいうセリフに「レールを外れてない人間も幸せを感じられないから、レールを外れた人間に冷たく当たる」というのがありましたが、みな生き難さを感じている。
『すばらしき世界』というタイトルの意味するものや、三上は最後、なぜ死んだのかをめぐって、自由な討論になりました。
さて、次回ですが、 以前、メンバーの斎藤なぎささんが推薦していたドキュメンタリー『一人になる』をやりたいと思っています。副題は「医師 小笠原登とハンセン病強制隔離政策」です。
関西では上映されているようですが、関東では自主上映のみ。日程は後日決めてお知らせします。 (堀切)


● 2021.5.29 『マルモイ』は想像以上の素晴らしい作品だった

5月29日、郵政共同センターに、20人の方が参加してくださいました。

『マルモイ』は想像した以上でした。日本の植民地時代、奪われようとする言葉を守った朝鮮の人たちのドラマですが、ユーモアにあふれエンターテイメントとしても素晴らしかった。ちょうど入管収容所で亡くなったウィシュマさんの葬儀が行われ、そこに参列してから駆けつけてくれた人も何人かいました。外国人とみるや、もはや人間として扱わないあり方は、まったく変わっていないことを痛感しました。

映画が素晴らしかっただけに、橘さんご指摘のとおり、上映環境が悪かったことは本当にもったいなかったと反省しています。スクリーンが歪んでいたり、窓を開けていたため、外の音や光が入ってしまったり。感染対策でやむをえない部分はありましたが、次回からスクリーンは大きいものに変えようと思っています。また、椅子の配置もセンスのある方の力をお借りしたいです。そうそう、女性の参加者、たしかに多かったですね~。

今、ブッククラブだけでなく川柳班も、オンライン参加を充実させる方向のようで、シネクラブもzoom参加を可能な状態にしていますが、シネクラブは映画というジャンルのせいか直接会場においで下さる方が大半です。懇親会も皆さんの持ち寄りで楽しく開催でき、顔を合わせて話が出来る、というのは何て素晴らしいことかと実感します。ただ「久しぶりに都内に出て、過密状態だったので不安になった」という声もありました。皆さんそれぞれに、警戒心を持って足を運んでくださっているのでしょう。今のところ、全面的にオンライン化することは考えず、可能な限り会場に集まるスタイルでやっていきますが、討論会や懇親会はパスしても結構ですし、無理のない形で参加していただければと思います。(堀切)


● 2021.4.10 『トランボ~ハリウッドに最も嫌われた男』をめぐって

4月10日、アメリカ・マッカーシズムが吹き荒れる1950年代を描いた『トランボ~ハリウッドに最も嫌われた男』の上映&討論会を、郵政共同センターで行いました。

セッティングに時間がかかってしまいワタワタしている間に、次々と新しい人が入って来てくださるのでビックリ。16人の参加。うち初参加者が3人、前回からの参加者が2人でした。嬉しい悲鳴です。開始時間が遅くなってすみませんでした。待っている間、前回の『ジョニーは戦場へ行った』の木下昌明さんによる映評をみつけたので、皆さんに配って読んでもらいました。

前回の『ジョニーは戦場へ行った』の脚本を書いたのがトランボだったこともあり、松原さんがこの作品を推薦したのですが、他の人からも「勇気をもらった」「用事があって途中退席するつもりだったけど、あまりに素晴らしくて動けなくなった」という感想が次々と出てきました。

共産主義への弾圧が吹き荒れる中、映画人がどう生きたのか。権力に寝返る人も出てきますが、そうした人も含めて「誰もが被害者だ」とトランボは言います。でも、そういってしまっていいのか。レッド・パージを支えたのは誰なのか。加害者に責任をきちんと取らせなかったことで、同じようなことが今も変わらず起きているのではないか。そんな意見も出てきて、考えさせられました。

また、高校時代をアメリカで過ごしたという女性参加者は「レッドパージがなぜ起きたのか、議論するような授業がアメリカにはあった」と話してくれました。過去の歴史に学ばない、議議論をしないという点では、日本はもっとも遅れていると、あらためて認識させられる思いです。

一時間ほど感想を言い合ったあと、10人ほどが残って二次会。仕事のこと、映画のこと、いろいろな話で盛り上がりました。コロナ禍にあって、このような場がますます求められているんだなあと実感しています。引き続き、これからもよろしくお願いします。

次回は5月29日(土)16時から、郵政共同センターで行います。皆でみて討論したい映画がありましたら、ぜひリクエストを寄せてください。今のところ有力なのは、韓国映画です。 (堀切さとみ)


● 2021.3.14 『ジョニーは戦場へ行った』をめぐって

3月14日、今年最初の定例会をおこないました。10人の方が参加して下さり、そのうち3人
が初参加(一人はオンライン参加)でした。

レイバーネットのイベント情報をみて来たという人は、「アメリカの反戦映画」としか書
いていないので「何をやるのか、ベトナム戦争ものかな」と予想して来てたそうです。蓋
を開けてみると『ジョニーは戦場へ行った』だったので意外だったと。これは1939年に書
かれた小説を映画化したものですが、第二次大戦時には発禁、朝鮮戦争でも発禁、ベトナ
ム戦争時にようやく日の目を見た作品だそうです。

平和と民主主義を守るために戦争に行き、負傷したジョニーは、他の患者を救う研究材料
とされます。「感情も記憶もないもの」とみなされ、治療と称して手足を切断されますが
彼の意識は明瞭で、そのことが周囲には伝わらない中で苦しんでいます。

映画は、病室のベッドの上で白い布をかぶせられたジョニーと、これまでジョニー体験し
たことの記憶が交互に描写されていきます。

モノと化したジョニーを、次第に人間として扱う看護師が現れ、彼が何を望むのかを読み
取ろうとする。彼が望んだ生き方は、自分を見世物にすることでした。

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乱さん、小川さんが推薦していた映画だったのですが、観てヨカッタ。「こんな戦争映画
があったのか」と驚く人が多かったです。たとえ生き延びたとしても、ジョニーのような
状態で生きていたくないという人が大半なのでは。しかし人として生きようとするなら考
え続けるしかないというのが、この映画のメッセージだと思いました。日本で公開された
のは1971年。当時のセンセーショナルな記憶が蘇ったという人も。ベトナム戦争でのアメ
リカの非道さを伝えるために、メディアは大きな役割を果たしました。その反省から、特
に湾岸戦争以降メディアコントロールが強まったのは知っての通り。権力サイドは学び、
変わっているのに民衆はどうなのか。

原作、監督はダルトン・トランボ。彼の生涯を追った映画『トランボ ハリウッドに最も
嫌われた男』を観たいという声もあがりました。

次回の日程は4月10日(土)16時から、場所は郵政共同センターです。

● 2020.10.3 宮崎駿イチオシ作品『千と千尋の神隠し』

10月3日、郵政共同センターで定例会、『千と千尋の神隠し』を開催しました。
集まったのは11人ほど。いつもより少なかったのですが、とても面白い討論になりました。コロナ以降初参加者が増え、今回は『憲法を考える映画の会』の花崎哲さんや、ブッククラブの篠木祐子さん等が加わってくれました。すでに劇場でみたという人も、今この映画をみたらどう感じるか、他の人がどう思うのか知りたくて来たという人も多かったです。
『千と千尋の神隠し』は、トンネルのむこうにある別世界に入り込み、さまざまな妖怪たちに翻弄されながら成長する少女の話。単純化すればそんなストーリーのこの映画を、宮崎駿は10歳の友人のために作ったそうです。 2001年公開の映画ですが、日本歴代興行収入一位は未だ塗り替えられていません。その是非はともかくとして、声高に「反戦」を訴えていたら、こうはならなかったでしょう。
宮崎映画のファンですべての作品を観たという人がいる一方、この映画の何が魅力なのか、さっぱりわからなかったという人もいました。 (堀切さとみ)
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(篠木)この映画は未見。家でパソコンで観るより、少しでも大きい画面で観たかったし、皆さんがどう感じたか聞きたくて今日は参加しました。光と闇、悪と善があって、二分できない。絵も今ならCG技術があるが、手書きの良さ。安心できる。10歳の少女が喜ぶような作品を作りたいと、子どもたちを集めて合宿をしたという宮崎監督。少女の感覚がよく表現されていた。トンネルを抜けて非日常へ・・・というよくあるパターンだが、神話の世界と近代資本主義の対比がうまく表現されていた。千尋の両親が屋台で食べるシーンは無限の貪欲さの象徴であり、千尋は危険を感じて不安に思う。私自身、子どもの頃に感じた感覚が呼び覚まされた。寂しさ、どうしようもなさ、どうして?という気持ち。そんなところがおもしろかった。


(花崎)息子が宮崎駿ファンなので、私も一緒にすべての作品を観た。宮崎映画は表現が素晴らしい。子どもが観ると、理屈はわからなくてもすべて頭に入ってしまい、考えが広がっていくようだ。今日あらためてこの映画を観て、宮崎はいろいろな作品(『注文の多い料理店』や『銀河鉄道の夜』など)の影響を受けていることに気づいた。


(斎藤)怖いものが襲ってきても仲良くしようとしたり、違和感なく取り入れる千尋をみて、私も子ども時代の感覚を思い出した。子どもの頃見た夢では、どんなに襲われても決して死なないのだ。それから、千尋はハクという少年に「この世界では名前を奪われ、別の名前で生きなければいけないが、決して元の名前を忘れてはいけないよ」と言われるのだが、ハクが人間ではなく「コハク川」という川だったというのが意表をつかれた。


(早川)映画館でみて、今回二回目。面白いと思えなかった。何が言いたいのかわからなかった。単純に「おもしろい」「きれい」で済ませればいいのに、わかりたいという気持ちが強すぎて。


(野村)私も二回観たけど、さっぱりわからない。木下さんの解説が聞きたくてここに来た。


(永井)この映画が公開されたとき、とても話題になっていたのに観そびれてしまった。2001年当時は小泉政権。バブルがはじけてテーマパークが潰れた。そんな時代をとらえた映画だと思ったがそれは入り口にすぎず、そのあとはまったく様相が変わっていった。妖怪は実は人間で、ハクという清流やヘドロが出てくる。僕は映画を観るときいつも「オチ」を気にするが、この映画は「夢ではなかった」というのがいい。


(松原)大人は「何が言いたいのか」と考えてしまいがちだけど、子どもがみたらスッと入ってくるんだろう。困難にぶち当たりながら前向きな千尋。お金じゃない愛、夢、素直に生きたいという気持ちを育んでくれる。電通や読売新聞がスポンサーだというが、そうしたものまで組み込んで、宮崎は大切なものを伝えていると思う。働く者の権利、助け合うこと、そういうことが随所にちりばめられている。湯婆が名前を変えて支配するところは創氏改名をイメージさせられるが、それを声高に言わずに、個人の生き方を大事にすることを伝えている。


(堀切)千尋は風呂を沸かすためのコークスを燃やす労働現場を見せつけられる。そこで「働かせてください」と言わなければならないが「お前なんかいらない」と言われてしまう。厳しい社会の現実に直面するが、それぞれの場面で皆が千尋の見方をしてくれる。子どもに疑似体験させているというか、「これからだよ」という関わりがいいなと思った。それから宮崎アニメは、わけのわからない妖怪たちにも敬意を表している。以前テレビで、CGで障害者の動きを再現したアニメーターが「グロテスクなだけだ。人間への尊厳が感じられない」と宮崎にこっぴどく批判されているのをみたことがある。その点において宮崎はとても厳しい人だと思ったし、だから子どもたちに見せられるのだと思う。


(奥山)そう。宮崎は対象を「よーく見ろ」という。たった一枚、宮崎が描いて足すと、表情や動きが全然違ったものになる。


(篠木)宮崎かんとくの描く妖怪は、かわいらしさがありますよね。100%悪なのではない。しかも多様。臭いヘドロのお化けがお風呂から出てくるとガラクタだったり。まさに大量生産大量廃棄の文明批判。寝ないでコークスを燃やし続ける釜爺を観ていると「モダンタイムズ」のよう。


(松原)かといって声高に批判しているのではない。わかる人にはわかるっていう・・・。


(乱鬼龍)そのヘドロの中から金が出てくるっていうのを観ると、まさに携帯電話から金をとるのを想像するね。


(木下)それから、この映画に出てくる神はキリストみたいな一神教でなく、万の神なんだよね。昼間は人間世界でけがれや汚れにまみれ、夜は銭湯にやってくる。その中でも、「カオナシ」というキャラクターを出してきたのがおもしろい。こいつは幽霊みたいに自分じゃ何もしゃべらない。声もなければ顔もなかったのに、カエルを食べたらニョロっと足が出る。従業員を食うと従業員の声を使って話をする。いろんなものを食べて自分という存在を作り出していく。菅(首相)そっくりだ。ぜんぜん自分がないし言葉を持ってないんだよね。首相になってからの演説も「携帯料金を値下げしろ」。こんなの政策ではない。スマホを安くすれば本を読まなくなる。ヒトラーが本を焼いたのと同じだ。


(堀切)宮崎駿への評価は高いが、『風立ちぬ』にあらわれているように、反戦を徹底できないという課題を負っているのではないかという意見もありますが。


(木下)『風立ちぬ』は特攻機を作った映画で、たしかにあのラストには違和感がある。しかし宮崎の映画にはいろいろあって、ひとくくりにはできないと思う。


(松原)黒澤明もそうだが、戦前は戦争賛美、終わったとたんに反戦になるという人はいる。多くの作品を作っていれば、いろいろある。


(木下)宮崎駿は父親が特攻機の技師だった、その父への思いがあったのだと思う。


(篠木)宮崎駿作品を私はそんなに見たわけではないけれど、自然と文明、人が自然と共存して、どうサステナブルを作っていけるかというのが一貫したテーマだと思う。「失われゆく」というけれど、人間が破壊しているんですよね。


*なお、木下さんが次号『月刊東京』に、『千と千尋の神隠し』の映画評を書いています。


● 2020.8.10 山田洋次イチオシ作品『たそがれ清兵衛』

8月10日、シネクラブを開催しました。題目は『たそがれ清兵衛』。木下昌明さんが「山田洋次の中で一番好き」だというイチオシ作品です。15人が集まりましたが、特筆すべきは、これまでで一番初参加者が多かったこと。イベントカレンダーを見た人から「山田洋次の作品というが、何をやるのか教えてほしい」という問い合わせが相次いだのです。<寅さん>でも<黄色いハンカチ>でもない時代劇でしたが、山田ファンのみならず、見事に参加者の心をわしづかみにしました。当の木下さんは残念ながら入院のため参加できませんでしたが、病院から電話をかけてくれました。初めてZOOMで参加した人もいました。

時代は幕末でありながら、現代社会の問題と見事に重なること。清兵衛は下級武士。妻とは死に別れ、老母の介護と二人の幼子を育てるために、出世とは無縁の生活を送っています。周囲からは嘲笑されていますが、個を抑圧しながら生きるあり方から自由である清兵衛は、とても魅力的でした。冒頭で娘たちが「繕い物は役にたつけど、なぜ学問が必要なの?」と清兵衛に問うのですが、父の娘への答えは「自分で考えて生きることができるようにだよ」というもの。結婚に失敗した幼馴染の朋江が清兵衛の家に出入りするようになり、そこで築かれる関係も素敵でした。山田洋次ファンの参加者からは「山田監督は女性へのまなざしがとてもよい」という指摘がありましたが、この映画もまさしくそうでした。コロナ禍で人間とはどう生きるべきなのか、考えさせられる中でこの映画を観ることが出来て本当によかったと、涙ながらに語る人もいました。以下、笠原真弓さんの感想を紹介します。 (堀切さとみ)

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山田洋次の『たそがれ清兵衛』を見た。自分の生き方と藩士であることの狭間で揺れる彼を見ていて、時代劇を借りた現代劇、しかも命をかけた切羽詰まったものだと思った(改ざんで苦しむ赤木俊夫さんにも通じるし…)。原作の藤沢周平の時代性と舞台となる明治維新の大変革、この映画が作られた2002年の社会と、監督の感性。そしてさらにそれを見ている私の「今」という感覚。 藩命で行く果し合いの現場での田中泯とのやり取りは、このためにこの映画は作られたというくらいの迫力だった。その言葉のいちいちに滲み出る共感。「この男を殺したくない」となかなか剣を抜かない清兵衛に対し、「この男になら殺されてもいい」と思う相手。しかも武士としての対面を保っての闘い。 そして最後の『男はつらいよ』に通じる監督独自の優しさ。 維新という価値観のひっくり返る時代に、下級武士という感覚は、現代のサラリーマンそのものだった。
そして、言わずもがなの蛇足だが、宮沢りえも最高に良かった!(笠原さんのFacebookより)


● 2020.6.6 コロナ情勢下で観た『コンティジョン』

緊急事態宣言が解除となったものの、まだまだ先がみえないコロナ情勢。そんな中で六月六日、郵政共同センターで、久しぶりにシネクラブを開催しました。

12人が参加し、男性は三名(木下さん、松原さん、乱さん)といういつもの顔ぶれ。あとは「久しぶりに映画が観れると思って楽しみだった」という初参加者を含む女性たち。

いつにも増して、華やいだ上映会となりました。

・・とはいうものの、映画の後の第一声は「疲れた~!!」「ビール飲みたい!」・・でした。

今回の上映作品『コンティジョン』(2011年/アメリカ)の意味はズバリ「接触感染」。2011年と言えば東日本大震災と福島第一原発事故で、感染症などまったく人々の関心ではなかったのですが、公開当時に劇場で観たという人が三人いました。。「好きな監督の作品だったから」(Оさん)、「マット・デイモンが出ていたから」(Kさん)というのが観た理由で、木下昌明さんに至っては「その時は全然面白くなかった」とケンモホロロ。そんな映画が2020年の今日、こんなにリアルに迫ってくるとは!

WHOやCDC(疫病予防管理センター)やブロガーなど、いろいろな人たちが登場し、場面は世界中をかけめぐる。テンポが速くてついていけなかったという意見もありましたが(私も一回観ただけではわからないことが多く、三回観返しました)、よくぞ9年前にこれほどリアルな映画が作られたものだと驚く声が多かったです。

劇中、どのようにして最初の感染者が出たのか、CDC職員が監視カメラを探索するシーンが出てきます。日本では「最初の感染者になることは恥ずべき事」になっていますが、「感染者が謝らなければならない社会こそおかしい。謝るべきでなく助けるべき存在だ」という意見が出ました。そんな討論を通じて、もし同じタイトルの映画を日本で作ったら、まったく違う作品になるのではと思いました。

日本は幸いなことに感染者も死者も少ないですが、コロナによってではなく政治によって殺される人が増えています。アメリカの人種差別反対デモにみられるように、次のステージに来ているのは明らかです。「命と経済、どっちをとるか」といった図式を超えて、討論では多岐にわたる意見が出ました。ワクチンさえ開発されればOKなのか。動物認知学において「ソーシャルディスタンス」がどのような意味をもつのか等々、感染症が人間社会にどのような影響を及ぼすのか。日本のコロナ報道からは見えてこない視点ばかりで、とても刺激になりました。疲れる映画でしたが、みんなで観て話してよかった! 

とはいうものの「次回はぜひ感動モノを」という声もあり、さっそく推薦作品が寄せられています。皆さんもぜひ! (堀切さとみ)


● 2020.3.28 自然界の掟が教えるもの『神なるオオカミ』

3月28日、シネクラブを開催しました。コロナで外出自粛要請が出され、悩む人もいたと思います。どうなることかと思いましたが、15人の参加がありました。(うち二人は初参加)

今回からスクリーンが新しくなり、途中「いいところ」で剥がれ落ちたりする心配がなくなりました。カンパしてくれた尾澤さんに感謝です!

さて「神なるオオカミ」について。中国文化大革命での下放労働の中で、オオカミと出会った青年の話です。文革を扱った映画というと暗いイメージがありますが、これは名作。とにかく雄大なモンゴルの大平原とオオカミたちの気高さに魅了され、あっという間に120分が過ぎてしまい、参加者は長いエンドロールの余韻に浸りました。

何より、オオカミの描き方には心底驚かされました。羊やシカを湖に追いやるシーンや至近距離でよだれまで見せている、CGでなく実写でここまでやれるのはどういうことなのか。木下昌明さんによると、この映画のためにカナダの調教師が四年間、母親から引き離してオオカミを育てたそうです。監督はフランス人で、動物を撮るのが得意だとか。「前回の『カニの惑星』もそうだったけれど、ここまでリアルだと本当にオオカミを応援したくなる」という感想もありました。オオカミというと「一匹狼」という言葉が象徴的ですが、ここにはリーダーのもとに団結するオオカミの姿が描かれていました。

モンゴルに青年団を率いた文革のリーダーは「オオカミは害悪だ」といいうけれど、モンゴルの人々は自然の秩序を守り、オオカミにどう対処すべきかを知っている。オオカミ=戦士であり、えさを与えられて育つものではない。しかし、主人公の青年は、オオカミの赤ちゃんを拾がい、内緒で育ててしまうのです。その主人公を身勝手だという感想もありましたが、自然は人間の思い通りにはならないことをを主人公は学んだのではないかという意見もありました。

「どんな生き物も自然界の掟をきちんと守っている」「人間だけが守らない」「人間は法律は守っても掟を守らない」という声もありました。中でも自分の体験談(サルを飼ってlabor-cineclub@list.jca.apc.orgいた話)を聞かせてくれる人もいて、これがまた映画になりそうなほど面白かったです。

※一時間ほど映画の討論をした後、参加者のひとり後呂良子さんが、この三月でメトロを退職することになったことを報告しました。13年働きながら、正規と非正規の圧倒的格差を是正するために頑張ってきた後呂さん。「労働争議が好きだったんじゃなくて、この仕事が好きだった」と語っていました。駅の売店といえば、どんなに頑張ったところで乗降者数で売り上げは決まるのだろうと思っていたのに、後呂さんの勤める売店はいつも売り上げを伸ばしてきたそうです。店に花を飾ったり、お客さんとの会話を大切にしながら「オアシス」になることを目指してきた・・・。そして自分が異動した後も、その駅で働く人が仕事しやすいように心がけてきたと語っていました。こんな魅力的な店員をクビにするというのは、後呂さんが組合員であるからに他なりません。でも、組合がなければ会社と交渉することもできない。だから組合を作ったのです。後呂さんが四人のメンバーで作ったメトロコマースの組合の闘いの記録は「メトロレディーブルース」「非正規に尊厳を」などの映画になり、韓国でも翻訳が進んでいます。いずれシネクラブでも上映できればと思っています。(堀切さとみ)